価値創造の経営管理論(改訂ニ版) 濱中 弘枝


     本書は、企業の最終目的を利益追求ないし、利益最大化とは捉えず、貨幣で測定できない非経済的価値にも目を向ける必要があるという主旨のもとに書かれた理論である。モノを造って販売し利益を得るという売り手と買い手の関係には金銭と商品の授受以外に、買い手は商品に対する満足という価値を受け取り、売り手は顧客の“喜びを得た”という満足の声という価値を得るという授受が生じるとする。このような目に見えない、また移ろいやすい主観的な価値の観点から組織を見ようとし、それを著したアメリカの一経営者、チェスター・L・バーナードという人物が登場する。彼は1938年に『経営者の役割』を出版し、経営学の近代理論化の礎石とも言われている。

    本書はこのバーナードの考え方を元に、他の経営学論者(P.F.ドラッカー、J.P.コッター、L.L.ナッシュなど)の考え方を比較、批評している。特にナッシュの『契約的経営倫理論』に関しては、バーナードを超える部分があるとさえ評価している。本書ではナッシュとバーナードの経営倫理論に関する志向は最終的には同じと見て良いであろうと考える。1930年代にバーナードが最終的にたどり着いた、『組織の存続が経営管理者、特に最高経営者の高い道徳性に依存する』といった点においては、1990年代のナッシュの考え方と相違するものがある。何故なら、ナッシュは高い道徳性の必要性やその結果生まれ得る組織の存続は支持するが、組織の存続を重要視するが故の生存倫理に至る危険性を指摘し、懸念するからである。ナッシュは、契約倫理は価値創造を基本目標と考え、利益は他の目標の積み重ねの結果として考える。事業の目的は、健全な利益を受け取る事ではなく、価値を創造し、他の人々に対する尊敬の念を維持することであるという。

    私はこの第7章10節を読んで、某大手建設会社の工事長が同建設会社の営業マンへ話していた言葉を思い出した。工事長は、営業マンに言った、『我々は昇進する為や、高給取になる為に建物を立てているのではない。自分やお前(営業マン)はしゃかりきに上司に媚び諂わなくても、嫌でも5年、10年後には部長になる。それは我々にそれだけの器があるだけのことであり、部長になるかならないかは重要な事ではない。自分は自分が携わって出来た建物が、ある時は病院であり、学校であり、企業がたくさん入るオフィスビルであったりするが、その建物が立てられたからこそ、その病院へ行って病気や怪我を治療することができるようになる人がいる、その学校に通って色んな事を学べることができる人がいる、その企業に勤める事ができる人達がいる。我々はその人達の生活の向上、一つ増え得た幸せの為に建物を建設しているのだ。その結果、自分達が給料をもらえる、それで良いではないか。ただ、今の上司が自分と同じ意見を持っているかどうかは疑問ではあるが。だから我々が経営管理側に従事したときは、今の会社の状態よりももっと上のレベルになる。』

    まさしく、ナッシュの倫理論ではないか。最初にこれを聞いたときは、きれい事のようにも思えたが、どんな大きな企業でも、一般従業員がいてこそ、会社が事業を営む事が出来るということを改めて認識した。自分の仕事に何らかの価値があるとき、達成するまでの苦労はあっても、報われるときが来る。一般従業員一人一人がその価値を理解していれば、完成したものにはおのずと大きな差が生まれると想像できる。過度な利益の追求によって協働意欲を失うより、自分の仕事に誇りをもって(価値を確信して)働きたいと思った。ただ、本書にあるように、良き理論を持った企業(経営者)が持たない企業よりも総じて高い業績を達成している事を示す統計的裏づけが存在していない事が残念であるが…。
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